心の性について
それとな〜くSNSでもカミングアウトをしましたが、私は心と体の性別が一致していません。
体はどこからどう見てもれっきとした女ですが、心の中の自分は違います。
『男』・『女』どちらでも在りたくない
私の性自認は「Xジェンダー」です。
意味が伝わりやすい言葉で表現すると、こうなります。
中性・ユニセックス、そういった意味で捉えられることも多いですよね。
ですが、一言でXジェンダーといっても色んなタイプの方がいらっしゃることはご存知でしょうか。
大きく分けて、「中性・両性・無性・不定」があります。
それぞれの特徴は、分かりやすくまとまった記事をご紹介しますのでそちらをご覧頂ければと思います。
私はこの中でも「不定性」に当てはまります。
自分の中の性自認が揺らぎやすいタイプですね。
自分に性別がないと思う日もあれば、中性寄りの日もあります。
男寄りだなと思う日もあれば女寄りだなと思う日もあります。
ですが「自分には決まった性が無い」という認識だけはハッキリとしているんです。
日によって性自認が揺らぐことで、精神的な揺らぎも起きやすいので、その心の振り幅でやや疲れやすい所も正直あります。
(心の性の揺らぎがファッションやメイクに現れる時もあります)
恋愛対象は?
私の恋愛嗜好は「パンセクシャル」です。
あらゆる性別の方が恋愛対象になるというタイプの人ですね。
相手の性別が好きになるための条件にはならない、と言えば分かりやすいでしょうか。
女性も男性も好きになることが出来る「バイ」の方と混同されやすいです。
もう一度繰り返しますが、私たちパンセクシャルは人を好きになる時に「相手の性別・心の性別」を意識しません。
文字通り「全ての性別の人を好きになる」のです。
その「全て」の中には、セクシャルマイノリティの方も含まれます。
好きになった人が好き、と言う言葉をよく見かけると思いますが、それに近いところもあるかもしれません。
性自認とファッションの好みは別物
「女に見られたくないのに女っぽい格好するのなんで?」
と言う声は色んなところで聞きます。
私としては女っぽく見られたくないなら男っぽい格好をするべき、女性っぽい仕草や趣味を辞めるべき、と聞こえてしまって、うーん、さて、どこから話そうかな。となってしまいますね。
「女に見られたくない」という気持ちがないといえば嘘になりますが、その私の希望を押し付けようとも思いません。
私はどちらかと言うと心の性がファッションやメイクなどの外見に反映されやすいタイプなのでそう思われる事があるのも無理ありません。
極めつけに日によって性自認が変わるので、一貫性が無く、洗練されていない人に見えるでしょう。
私の体が女である限り、私の性認識の入口はどう足掻いても「女」であるわけですから、その点に関してはとうに諦めています。
女の子っぽく扱われたから、「女」と呼称されたからと言って今更わざわざ不快な気持ちにもなりはしません。
仕方の無いことですから。
なので、私の性自認は私の信頼する人にだけ知って貰えていれば別にそれでいいんです。
その人たちだけ理解してくれていれば満足なので、他の人たちから向けられる目に対しては特に気になりません。
ティッシュ配りの人に「お姉さん」と呼ばれても、書類にある性別記入欄の「女」の文字に丸をつけることも、仕事で「女性用」とされた制服を纏わなければならないことも、モヤッとはすれど、あからさまに不快な態度をとったりすることはありません。
それはそれとして、性自認が女でないからと言って、所謂「女性っぽい」とされる見た目や趣味を持つことは罪なんでしょうか?
性自認が男でないのなら「男っぽい」趣味を持ってはいけないのでしょうか?
個人の趣味は、その人の性自認と関係があるのでしょうか?
私は否と考えます。
その人が何に魅力を感じ、自分に纏いたいのかは性自認に関わらず自由だと思っています。
「こうあるべき」「あなたの性自認がこうならこれはおかしい」と他人が押し付けたり決めつけるのはナンセンスではないでしょうか。
「男らしい」「女らしい」「中性っぽい」とか言う言葉は溢れかえっていますが、それが心の性(体の性もそうですが)に結びつくことが、必ずしも正しいのでしょうか。
有難い時代に産まれたもんで、今でこそセクシャルマイノリティに対する理解は広まりつつあります。
だからこそ、こういった考え方も、世間的に少しずつ変わってきてくれるといいなと感じます。
特別扱いして欲しいわけじゃない
私は自分の心の性を信頼出来る友人とSNSでしか(しかもふわっとしかしてない)カミングアウトしていません。
もちろん職場にも言っていません。
家族には日常会話の流れでそれとなーく伝えましたが、両親からは「意味がわからん」と一蹴されたのでそれ以上の理解を求めることを諦めました。
まぁそれはイレギュラーだったとして、「自分をわかってくれる」とまでは言いませんが、自分の性自認については「共感しなくとも理解はしてくれる」と信頼している人だけに伝えるようにしています。
なので、私の趣味を書き散らかしまくったブログへ遥々足を運んで見に来てくれる方には、私の言葉が伝わるかもしれないと思って細かく書き留めました。
とはいえ、知ってくれているに越したことはありませんが、知らないからと言って罪ではありませんし、それを知っている人と知らない人で何か私が変わることはありません。
あわよくばもうちょっと生きやすくならないかな、と言う私の浅はかな気持ちです。
私がここで心の性をカミングアウトしたからと言って、皆さんに何か強要したり特別になにかをして欲しい訳では無いんです。
敢えてなにかを要求するのであれば、ふつうに接してくれると嬉しいです。
職場にカミングアウトしていないと言いましたが、1人だけ私の恋愛嗜好を少し理解してくださっている先輩がいます。
先輩「結婚何歳までにしたいとかある?」
私「時が来ればみたいな感じですかね」
先輩「……女の子が好きなの?」
私「どっちも好きになります」
先輩「そっかー、どんな人が好き?」
私「時間の流れがゆっくりな人が好きですね」
先輩「私も〜」
その先輩とこんなやり取りをしたことがありました。
元々感受性豊かでありながら、適応性が高い方ではありますが、ここまで楽に話ができるとは、とその先輩に対する尊敬度が上がった会話です。
率直に感想を言うと、凄く楽でした。気持ちが。
詮索をするでもなく、引くでもなく、好奇心を持つでもなく、気まずくなるわけでもなく。
普通に接してくれたんですよね。
私はお互いの接し方として、シスジェンダー(心と体の性が一致している方)とセクシャルマイノリティで違うからと言って、特別に対応を変えなければならない訳ではないと思っています。
(中には接し方を分けて欲しい方もいるのかもしれませんが、私はそうでは無かったです。)
好きになる人の対象そのものや、その幅が違うだけで、私たちは同じ人間なんです。
適宜対応を変えざるを得ない場面もあるかと思いますが、その必要のない場面で常に「この人はパンセクシャルだから」「この人は私と違うから」と気を張っていて欲しいのではないんです。
なんだか逆にワガママな言い方になってしまった気もしますが、伝わりますかね……?
ただ、私を私として見てくれれば、それだけで十分なんです。
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